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「つながり」と「孤独」

2013.09.25(Wed)

『思うこと』 Comment(0)Trackback(0)
 今日、ブログを更新しようとして「記事を保存」をクリックしたら、「ネットワークの接続が云々」というメッセージが表示されて書いたことが全部消えてしまった! なのでテーマを変えてもう一度記事を書いてみる。

 今、一人暮らしをしていてネットをつなぐためにはあるブロードバンドサービスを利用しなければならない。その使用料(二ヶ月分)を今日支払ってきた。携帯でもいろんなサイトは見れるのだが、なにぶん僕のは未だにガラケーなので、パソコンの方がネットをするには断然いい。
 けれどもどうしてネットを通じて様々なサイトを見、こうしてブログを更新するのだろう。僕にとっては、「つながり」が欲しいからである。もちろん現実の中でも「つながり」はあるのだが、仕事での人間関係がとくにそうであるように、それは必ずしもゆったりできるようなものではない。それに「つながり」がある特定の一つだけに限られていると、そこで息苦しくなっても逃げる場所がなくなるのだ。僕はこのブログを訪問してくれる方のブログをよく覗きに行くのだが、教えられることも多いし、なによりホッと一息つける場所のように感じている。

 最近は「つながり」や「絆」という言葉が流行りである。僕もこれまで書いたように「つながり」を求める人間なのだが、それと同じくらい「孤独」も大切にしたい人間である。よって最近の「つながり」や「絆」ブームにはちょっと違和感を持っている。なぜならそれは、「人間が孤独であるのはいけないことであり、異常なことだ。とにかく家族や地域社会とつながりをもとう!」と謳っている感じがするからである。しかし、人が「孤独」であるのはそこまで変なことであろうか。「孤独」だからこそ、人は「つながり」を求めるのではないか。いつでもどこでも誰とでも「つながり」を持てる社会(現代もスマホといったメディアや、LINEなどでこうした社会になりつつあるが)では逆に「つながり」がありふれたものになってしまい、価値を失ってしまう。暗闇があるからこそ明りを求めるのであって、絶えず明るければ明かりを求める必要はなくなるのだ。
 それに「孤独」な時間は人の考えを深めさせてくれる。我々には他者と話をし、思考の材料を分けてもらう(或いは与える)時間が必要な一方で、自分ひとりで思考を秩序づけ、自分の意見をつくる時間が必要だ。その時間は「孤独」でいるときである。そして「孤独」の中で、練り上げられたものは再び他者との「つながり」の中で共有され、批判され、「孤独」な時の思考の材料となる。「孤独」と「つながり」のどちらかだけを重要視するのではなく、「孤独」と「つながり」のこうした循環を大切にすべきだと思う。

 感覚的、表面的な、ただお互いにもたれかかりたいだけの「つながり」は、「孤独」に耐ええない人間のすることである。「孤独」を知っている人間同士の深い「つながり」とは似て非なるものだ。最近の「つながり」ブームがこうした偽りの「つながり」を広めているものならば、僕はそれに与しないだろう。そんなものよりも僕は北杜夫の次の言葉を信じる。

 「持つべきものは友であり、また友などというものは少ないほどよい。沢山友なるものを持っている人はどんどん絶交すべきである。」(『どくとるマンボウ航海記』、147頁。)

どくとるマンボウ航海記どくとるマンボウ航海記
(2013/05/17)
北杜夫

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Author:マンボウ
25歳/男/大卒
民間で2年働いた後、1年半ほどバイトしながら勉強し公務員となる。
趣味は読書。

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