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対立を恐れずに

2013.03.02(Sat)

『思うこと』 Comment(0)Trackback(0)
 どうも。昨日成績発表がありまして、無事卒業が確定しました。四年間で、取らなくてはならない数を40ほど上回る量の単位を取ることができました。よかった、よかった。

 さて、それで3月は少しバイトをすることにしました。明日はその研修があるのです。免許の更新などもあってお金が必要になってきた上に、引越しの必要もなくしばらくすることもないのでちょうど良いかなと思ってます。

 ずいぶん前から、体罰やいじめによる自殺が問題になっています。そこで僕が重要だと思うのは、いじめの被害者が相手から殴られたり、蹴られたりしても、自分を責め続けることです。怒りは人間を動かすエネルギーの一つです。それがうまく外に出てこないと、内側にくすぶり続け、自分を蝕んでいくように思われます。しかしどうやら吾々の社会では、怒りを外に出して、誰かと対立することを非常に嫌うようです。もしそんな対立が起こる気配があると、なんとか裏で和解しようとする。なあなあで済まそうとする。
 僕はそういう雰囲気が嫌いです。というのも僕自身にそういう傾向があるようで、後悔することが多いからです。

 殴られ、蹴られても、ただなされるままにしているのは寛容なのでも、謙虚なのでもない。自分の尊厳を打ち壊そうとする人間の前には、決然として立つことが必要だ。それは幼稚な反抗ではなく、健全な自尊心の現れだ。対立がなくては、対話は始まらないし、その必要もない。馴れ合っているだけの集団の間にも、主人と奴隷の間にも対話はない。自分を持った人間の交流はない。

 「価値観を押し付けるな」とよく言われるが、人間同士の交流であれば、多かれ少なかれ価値観の押し付け合いが起こる。そしてそこから、もっと言葉を費やして自分を表現し、相手のことも理解しようとする意志が生まれる。価値観の押し付け合いが悪いのは、それ以上の相互理解に発展しない場合である。それはどちらかが、或いは双方が、言葉によって自分を表現しようとする意志がないからである。こういうことを無視して「価値観を押し付けるな」と言うのは、単なるきれいごとであり、贅言に過ぎない。いじめや体罰も過激な形での価値観の押しつけだ。しかし、それが自分にとって受け入れがたいものであるとき、こちらが声を上げなければ、価値観を披瀝しなければ、自分はそこに存在しないのと同じだ。相手にいいようにされて怒りの感情が渦巻くとき、それを自分に向けるのではなく、相手に向かって素直に表現する時、初めて自分と相手の間に対話が生まれると思う。

 ではまた。
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Author:マンボウ
25歳/男/大卒
民間で2年働いた後、1年半ほどバイトしながら勉強し公務員となる。
趣味は読書。

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