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「発言」について考える

2012.10.22(Mon)

『思うこと』 Comment(0)Trackback(0)
どうも。

「発言すべきときに発言しない」とはよく言われる日本人の弱点ですが、僕はそれ以前に、もっと重要な問題が潜んでいるんじゃないかと思っています。その問題は主として二つあります。

一つ目は発言、つまりは情報の発信に必要なだけの情報の入力と整理がなされているか、という問題です。最近の情報の発信を強迫的に求めてくる「コミュニケーション能力」言説においては、この問題は往々にして隠されがちです。

例えば、ゼミで2、30分真面目に自分の論文やレジュメを発表しようと思ったら、最低でも一週間は必要な資料を読み、考え、自分なりの意見をまとめる時間が必要だと思います。情報の発信と、情報の入力・整理の関係は、料理を食べることと、作ることとの関係になぞらえる事ができると思います。
つまり、情報の発信(料理を食べること)は一瞬でも、その一瞬のためにはその何十倍、何百倍もの時間と労力をかけて、情報の入力・整理(料理を作ること)がなされなくてはならない、ということです。

情報の発信の重要性ばかりが強調される「コミュニケーション能力」言説の蔓延する現在の日本社会においては、情報の入力・整理が疎かになっているように思います。自分のなかにあるいろいろな情報を上手く引き出せなかったり、そもそもそれだけの入力された情報の引き出しがないために、いきなり自分のかなりプライベートな、赤裸々な部分をさらけ出さざるを得ないという状況が現実においても、ネットにおいても、作り出されているのではないかと僕は思っています。

もう一つの問題は、発言しないことよりも発言しっぱなし(言いっぱなし)の害の方が大きいということです。ある人が何らかの会議で、aという企画について「こりゃあ、全然ダメだ。もっと面白いものにしないと。」と発言したとしましょう。しかし、もしこの人がこの発言だけで終わったとしたらどうでしょうか。こんな単なる愚痴みたいな発言をするより、黙っていたほうがこの人にとっても、この会議のメンバーにとっても有益なのではないのでしょうか。

というのも、公の場での発言にはある程度の責任が伴うからです。この人の場合、aという企画がなぜ「ダメ」なのかを指摘し、自分だったらbという企画をするとか、或いはaという企画の一部を修正するとかいった代案を示す責任が生じると思われるからです。
そうした責任を取らない発言は私的な場ではどうあれ、公の場では許されないでしょう。仮にそんなことを言っても説得力はないものと思われます。なぜなら、このような言いっぱなしは、その場のメンバーにとって有益な批判ではなく、単なる愚痴か罵倒にしか聞こえないからです。

以上の問題点を整理すると、発言には情報の入力が必要であり、その発言に責任を持たせるために、言いっぱなしに終わらず、発言の根拠を説明し、批判を行う際には自分なりの代案を指し示すことが必要になります。

長々と書いてきましたが、僕が最も重要だと感じるのは、黙っていることです。しかし、黙っているだけで何もしないのではなく、他の人たちの発言を聞いて自分で考えていくことが大切なのだと思います。そうした沈黙の日々が後日、いざ自分が発言するときに糧となってくれるのではないかと思っています。

「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざは、「コミュニケーション能力」言説の跳梁跋扈する今だからこそ、もう一度思い出されるべき言葉なのではないでしょうか。

ではまた。
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Author:マンボウ
25歳/男/大卒
民間で2年働いた後、1年半ほどバイトしながら勉強し公務員となる。
趣味は読書。

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