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「溜め」という概念

2013.02.18(Mon)

『読んだ本』 Comment(0)Trackback(0)
  どうも。一昨日、内定先の企業から大きな封筒が届きました。中にはいろいろ重要な書類が入ってましたが、気がかりだった勤務先の通知もありました。希望した勤務先ではなく、自宅から車で30分以上もかかるところです。何のために勤務先の希望をとったのやら(笑)。あと、研修の予定も確定しました。3泊4日の泊まりがけで行うそうです。卒業式の日が研修開始の日にあたってしまうので、やはり卒業式は見送ることにしました。

 僕は最近友人と話す機会が多いのですが、その時感じるのは、そうしたたわいもない会話が心のバランスを取るのに必要不可欠だ、ということです。普段、人は社会の中で一定の役割の上に行動していますが、その役割に縛られたままでは息苦しくなってくることも事実です。だから酒を飲んだりしながら、ある社会的役割に拘束されない友人や知人と愚痴をいいあい、駄弁るのではないかと思います。
 湯浅誠さんの『反貧困』(岩波書店、2008年)をつい最近読みましたが、「溜め」という概念が重要なキーワードになっています。氏は、単に経済的に困窮しているだけの「貧乏」と、経済的に困窮しているだけでなく、人間関係の「溜め」や社会保障などの「溜め」から排除されている状態を「貧困」と読んで区別しています。「溜め」とは、例えば失業や借金などの逼迫した事態に陥った時に助けとなる、金銭的な蓄積や、支えになってくれる人間関係の蓄積などを指しています。仕事という一つの場で追い詰められても、そのしんどさを共有できる人がいるのなら、それは大切な「溜め」となります。
 ですから、僕につきあってくだらない愚痴を聞いてくれる友人は、僕にとっての大切な「溜め」なのだと思っています。そして、このブログを通して知ることができたネット上の知人、そしてこのブログ自体も大切な「溜め」になっているのではないかと感じました。ただ、「溜め」を作ろうという目的があってそうした人間関係や居場所が構築できるのではなく、普段の生活の中での人間関係や、居心地のよい場所が、何か差し迫った重大な問題が発生したとき、自分にとって大切な「溜め」になっていると自覚できるのだと思います。

 そして『反貧困』ではそれほど触れられていませんが、知識という「溜め」も大切なのではないかと思います。著者の支援団体には、メールで当事者から連絡が来ることが多く、ネットで検索してみたことがきっかけだったという事例が登場します。また、本当に食べるものもなく困っているのに生活保護制度の存在を知らなかったという人や、多重債務に陥りながら高すぎる利息を払い続けてしまい相談に訪れる人の事例も出ています。こうした事例からわかるのは、「知ること」の大切さではないかと思います。そうした知識の「溜め」が思わぬところで役にたったりすることがあると思います。
 著者が語る貧困問題の重要なポイントは、それが世間に知られていない、ということです。知的好奇心の喪失は、貧困問題をはじめとする社会的問題を、個人の努力の問題にすり替えてしまうことにつながります。自己責任論を振り回す人は、そのことで自分の自己責任を免れたいのではないだろうか、と著者は言っています。社会で発生する問題を自分自身に引きつけて理解しようという態度は、様々な知識を「溜め」ることですし、それは社会にどう自分が関われるのかに役立つだけでなく、自分の身を守ることにも役立つのだと思います。
 そういう知識の「溜め」の重要性は学生の頃よりも社会人になってから骨身に沁みてわかるのでしょう。だから、「ああ、あの時もっと勉強しとけばよかった・・・」と後悔することになります(笑)。知的好奇心を失うことなく生活を送れるか、それがこれから僕だけでなく、社会的にも問われていくことになるのだと思っています。

 ではまた。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04/22)
湯浅 誠

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発表を終えて

2013.02.13(Wed)

『思うこと』 Comment(0)Trackback(0)
  どうも。昨日卒論の発表があり、なんとか無事に終えることができました。三人の方から質問を受けましたが、それにも一応回答することができました。いやあ、100人近くを前に30分間しゃべるのって、緊張するもんですね(笑)。発表会が終わったあとは、ゼミのメンバーで飲み会をしてお開きになりました。

 発表会の最後に、僕の学科のある先生が総評をしたんですが「年々卒論を書く人が減っている」とのこと。今、僕の学科では卒論は必修ではなく、随意科目となっています。ところが、再び来年の三年生からは卒論が必修になるようです。卒論が必修でなくなった理由は、「就活への影響を考慮した」ということがその一つだったとその先生は言ってました。
 
 僕が在籍している文学部ってお世辞にも就職がいい学部ではないし、就職は二の次にしても、自分の興味のあることを勉強したい人が学びに行くところだと、勝手に思っています。愚痴っぽくなりますが、好きなことを勉強したくて入学したのに、いざ卒論を書くという段階で怖気づいてしまった結果がその提出の減少につながっているとしたら、どこかさみしい感じがします。ただ座って講義を聴いたりテストの答案を書いたりするよりも、卒論を書くほうが自分の頭を使う、かなり能動的な作業なので、卒論を書かないというのはひたすら受け身で学業を終えたということとイコールだと思います。
 それに卒論を制作する過程で必要になる、自分の思うところを理路整然と書き、先生やゼミのメンバーの質問を聴き、そして的確に話すという能力は就活でも必要なんではないか。卒論の制作はたしかに就活に負担をかける面もあるでしょうが、プラスになる面だってあると思っています。

 もっと言うと、大学の学習において得られる能力と、就活で求められる能力とを対立的に見てしまうことに大きな問題があるんではないかと思います。だから就活の時期がやってくると、就職課や某大手企業主催の胡散臭いセミナーが始まり、大学生協で売っている適当なマニュアル本にさえ載っているような話を何度も聞かされる。そんなことの方がよっぽど就活への負担になっていると思います。まあ、そんなものにわざわざ足を運ぶ学生の方にも責任はありますが。

 ちょっと言いすぎたかもしれませんが、まあ僕が考えてたのはそんなことです。
 あと気になったのは、卒論を提出した人の7割方が女性だったということ。女性の方が優秀だし、打たれ強いのかもね。ではまた。

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カレーかポトフか、それが問題だ

2013.02.09(Sat)

『思うこと』 Comment(0)Trackback(0)
  どうも。最近は来週火曜にある卒論発表会へ向けてゼミの先生との打ち合わせが続き、しんどかったのですが、それも今日が最後で無事終わりました。あとは発表本番を残すのみです。テストもすべて終わったのでようやく落ち着けそう。

 もう学校のテストを受けないで済む、ということを考えるとなんだか刑務所から解放されたような気になる(笑)。ただ、いままでの習慣がなくなってしまうという意味ではどこか少しさみしいような。まあ、社会人は毎日テストみたいなものだとは思いますけど・・・。
 内定先の企業の研修は三月末から始まるようで、果たして卒業式に出席できるかどうかまだ分かりません。そして、三月末までの一ヶ月半ほどをどう過ごそうか、と今思っているところです。バイトでもして一人でどこかに行きたいなあ。

 ところで、先日ある講義のテストを受けたのですが、その先生はテストの問題がゆるいことで有名です。僕の前に座った人と、後ろに座った人が、テストが始まる前にそれぞれの友達と話をしていました。どちらの人も「問題なんだろうね、何か適当に書けばいいんじゃない?」みたいな話をしていたのですが・・・、

 前の女子:「じゃあ私カレーのつくり方書くわー」
 後の男子:「ポトフのつくり方でも書くか」

 この二人は面識もないのに、時間差で各々の友達にこんなことを言ってたのであやうく僕は吹き出すところでした。実話ですよ、これ。ちなみにテスト問題はもちろん講義と関連する、ちゃんとしたものでしたが、あの二人は何を答案用紙に書いたんでしょうかね(笑)。

 ということで、次は卒論の発表が終わったら書きたいと思います。ではまた。

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▼ プロフィール

マンボウ

Author:マンボウ
25歳/男/大卒
民間で2年働いた後、1年半ほどバイトしながら勉強し公務員となる。
趣味は読書。

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