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中島らもの魅力

2015.06.29(Mon)

『読んだ本』 Comment(0)Trackback(0)
  こう毎日毎日、勉強の記録だけをブログに書いていても味気ない(勉強の進捗を確認する上では重要だけど)ので、たまには関係のないことを。

 仕事を辞めてからもう約4ヶ月ほどになる。日々顔を合わせるのはバイト先の人か、予備校の人か、家族ぐらいなものだ。大学の頃の友人も忙しいらしく、ほとんど会う機会はない。前の仕事の人たちからはたまに飲み会に誘われたりする。
 会いたくない人に会う必要がないというのは、恵まれているのかもしれない。一人で過ごしていると、人間関係ってずいぶんと相対的なもんだとつくづく感じる。会うことがなくなれば、自然とそこにあった人間関係も消えていくのだと思う(長い間体を動かしていないと筋力が衰えていくように)。
 今までもろもろの必要性によって維持せざるを得なかった人間関係が消えていく中で、本当にわずかだが、消えるどころか存在感を増してゆくものもある。おそらくその人たちは私にとってなにかしら重要なのだろう。少なくとも、相手のことをもっと知りたいからその人と会い、話を聞きたいわけだ。もうこれ以上知りたくないと思えば、その相手とは関わりたくないのが人情だろう。
 だから本当に相手のことを思う人であれば、安易に相手を理解しようとはしない。相手をどこまで理解したと思ってもそれは、自分なりの解釈にすぎない。相手の経験や心情を、相手に成り代わって完全に理解できるというのは、単なる傲慢であると思う。だからこそ、嫌な奴には自分なりの解釈を貼り付けて、そこで切り捨ててしまえるわけだ。そういう人間にかかずらっているより、自分のなすべきことに集中する方法としてそうするのもやむを得ないのかもしれない。
 けれども、信頼できる数少ない相手を切り捨てることはできないはずだ。「もっと知りたい」と言える相手は、現実に面と向かって合う相手かもしれないし、そうでないかもしれない。例えば、ネットを介してのつながりや、本を介してのつながりも考えられるだろう。

 そういう相手をまた一人、知ることができた。
 中島らも『僕に踏まれた街と僕が踏まれた街』(集英社文庫)を読んだ。
 灘中、灘高、落ちこぼれ、浪人、アル中、薬、音楽・・・。著者の人生がドタバタ風に、面白おかしく描かれている。だが、そんな中に、はっとさせられる一節が何気なく立ち現れてくるのだ。北杜夫の「ドクトルまんぼうシリーズ」と相通ずるものがあるようにおもう。

 アル中になった著者が入院し、病室で一緒になった患者が亡くなっていったことに続けて、こんなことを書いている。

 「そうやって転がり込んできた命を、また同じことをして捨てにかかるのでは、死んだ人に対して申し訳が立たない。だからといって別に心を入れ替えて頑張るつもりはない。相変わらずいい加減なことをやっているのだが、それでもだらだらとではあるが、生きることにした。」

 また、大学浪人中であった友人が自殺したことに続けて、

 「ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。」

 と書き、過去の友人たちが音楽での成功を収めた話では、

 「誰でも夢がつかめる。才能よりもむしろ持続する能力があればの話だが。」

 と結んでいる。生と死のコントラストというか、現実や日常を見据えながらも、それを通り越した本質のようなものを掴んでいるからこそ面白いのだとおもう。だからこそ、この本は僕を惹きつけたわけだ。魅力ある相手のことはますますその内奥を知りたくなる。というわけで、いま僕は『今夜、すべてのバーで』を読んでいる。
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福田恆存『人間の生き方、ものの考え方』

2015.03.20(Fri)

『読んだ本』 Comment(0)Trackback(0)
福田恆存(ふくだ・つねあり 1912-1994)という人がいる。
ミネルヴァ書房から出ている彼の伝記、そして彼の著書『私の幸福論』を読んでいたので、本屋に立ち寄った時にこの本を見つけるやいなや、迷わず購入した。

帯には『絶望から出発せよ』とあるが、確かに福田の述べていることのポイントの一つは「絶望」なのだ。

「・・・そうすると何か非常にニヒリスティックになり、絶望的になって、一体何が真実だかわからない所に一応行きつくわけです。しかしそれが如何に絶望的であろうとも、私はどうしてもそこにいきついた上でものを考えなければならないと思うのです。」(27頁)

「・・・混乱なら混乱の現状を自覚することにしか、その克服の道はありません。克服などという安易な道はありえないと悟らざるを得ない程の絶望的な混乱を痛感することから出直さなければなりません。」(103頁)

「私が絶望という時にはこれで終わりだというのではなく、これから何かやり甲斐のある仕事を始めるという出発点を意味しているのです。」(107頁)

 福田は徹底して物事を考えよ、と言っているように私には思われる。安易に結論を出してはならない、仮にそんなものを持ち出してみたところで何も解決しないよ、と。現代はいち早く結論を出すことが求められているような気がする。結論を出せない程の「絶望的な混乱」にあるはずなのに、忙しさを口実に誰もそこを直視しようとしない。私も含め、現代人は絶望から目を背け、目前のいろいろな楽しみに耽り、ある所で妥協して結論らしきものをひねくりだしている。
 しかし、福田に言わせればそんな人間は絶望という「出発点」にすら立てないのだ。絶望イコール終末と考えるのが我々凡人の考え方だが、福田はそういう考えを突き抜けたところにいる。それは福田が、「言葉」というものを徹底して考えた人だったからではないか、と思う。
 福田が徹底して考えた言葉の一つに「自由」がある。

 「・・・言論の自由というものがある以上、「言論の自由を否定する言論の自由」も許されなければならないわけです。ところが言論の自由というともうすべてが自由であるかのように思って、このような言論は押さえられてしまって誰もそのことに気がつかない。」(126頁)

 「今日使われている自由だとか、平和だとか、民主主義だとかいう言葉は、腹にもないことを、ただこれを言ってさえすればいいんだというように使われているように思います。」(152頁)

 私たちは普段何気なく使っている言葉(それはもちろん「自由」だけでなく)について、ここまで徹底的に考えたことはないと思う。それは政治的な立場だとか主義・信条にかかわらず、「とりあえずこれ」という感じで安易に言葉が使われているからだ。
 フランスで起きたシャルリー・エブド襲撃テロ事件について、もし福田が意見を求められたら、上に引用したように答えたであろう。そしてこの事件によって、表現の自由・言論の自由が世間の話題になった。私たちは「自由」を安易に叫びすぎ、逆に「自由」の品位を傷つけ、その価値を薄めてしまったのではないか。自由であるはずの表現・言論が、「自由」に凝り固まることによって却って不自由になる。福田の慧眼がすべてを見通していたように思われてならない。そしてもちろん「伝統」とか「日本」という言葉についても、福田は現在のように安易には使わなかったと思う。少なくとも福田には言葉を安易に用いることについての自覚というものが必然的に備わっていたはずだ。

人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義
(2015/02/09)
福田 恆存

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悲惨な魂

2013.08.18(Sun)

『読んだ本』 Comment(2)Trackback(0)
“沖仲仕の哲学者”、エリック・ホッファーの『波止場日記』を読んだ。

波止場日記


 気になったのは1959年3月14日の記述。

 「フリースラント号にて四時間半。ここの仕事完了。久方ぶりに最高にきつい仕事が二日続いた。仕事帰りのバスの中で私は突然同情心にかられた――若者と老人、成功者と失敗者の区別なく、それなりの悲惨さを持たぬ魂など全世界に一つとして存在しないように思えたのだ。どういうわけでこの突然の同情心が湧いてきたのか、私には説明できない。」

 悲惨、或いは不幸というものは、途上国の貧民や戦争による難民、障害を持つ人、難病に冒された人、大震災に遭った人などだけの専売特許ではない。おそらく、人間たる者全てが多かれ少なかれ共通して持っているものである。私には先に挙げたような人々を、無視する意図はない。私はこのような人々の不幸を引き合いに出して、身近なところにある悲惨な、不幸な魂の存在を無視させようという人が気に食わないだけである。
 こういう説教をたれる人々は、まさしくホッファーのいう「知識人」である。すなわち、「自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに方向と形を与える神授の権利を持っていると思っている人たち」である。彼らは身近な悲惨な魂の存在を無視して「平和」や「絆」といった大言壮語を吐くが、そうした身近な存在を救うことすらできないのに、一体この世界に対して何ができるというのだろうか。

 「私は変わった人間ではない。ありふれた人間なのだ。そして、私はそのことを誇りに思っている。」
 こう言えるホッファーが力強く、輝いて見えた。

波止場日記―労働と思索

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「溜め」という概念

2013.02.18(Mon)

『読んだ本』 Comment(0)Trackback(0)
  どうも。一昨日、内定先の企業から大きな封筒が届きました。中にはいろいろ重要な書類が入ってましたが、気がかりだった勤務先の通知もありました。希望した勤務先ではなく、自宅から車で30分以上もかかるところです。何のために勤務先の希望をとったのやら(笑)。あと、研修の予定も確定しました。3泊4日の泊まりがけで行うそうです。卒業式の日が研修開始の日にあたってしまうので、やはり卒業式は見送ることにしました。

 僕は最近友人と話す機会が多いのですが、その時感じるのは、そうしたたわいもない会話が心のバランスを取るのに必要不可欠だ、ということです。普段、人は社会の中で一定の役割の上に行動していますが、その役割に縛られたままでは息苦しくなってくることも事実です。だから酒を飲んだりしながら、ある社会的役割に拘束されない友人や知人と愚痴をいいあい、駄弁るのではないかと思います。
 湯浅誠さんの『反貧困』(岩波書店、2008年)をつい最近読みましたが、「溜め」という概念が重要なキーワードになっています。氏は、単に経済的に困窮しているだけの「貧乏」と、経済的に困窮しているだけでなく、人間関係の「溜め」や社会保障などの「溜め」から排除されている状態を「貧困」と読んで区別しています。「溜め」とは、例えば失業や借金などの逼迫した事態に陥った時に助けとなる、金銭的な蓄積や、支えになってくれる人間関係の蓄積などを指しています。仕事という一つの場で追い詰められても、そのしんどさを共有できる人がいるのなら、それは大切な「溜め」となります。
 ですから、僕につきあってくだらない愚痴を聞いてくれる友人は、僕にとっての大切な「溜め」なのだと思っています。そして、このブログを通して知ることができたネット上の知人、そしてこのブログ自体も大切な「溜め」になっているのではないかと感じました。ただ、「溜め」を作ろうという目的があってそうした人間関係や居場所が構築できるのではなく、普段の生活の中での人間関係や、居心地のよい場所が、何か差し迫った重大な問題が発生したとき、自分にとって大切な「溜め」になっていると自覚できるのだと思います。

 そして『反貧困』ではそれほど触れられていませんが、知識という「溜め」も大切なのではないかと思います。著者の支援団体には、メールで当事者から連絡が来ることが多く、ネットで検索してみたことがきっかけだったという事例が登場します。また、本当に食べるものもなく困っているのに生活保護制度の存在を知らなかったという人や、多重債務に陥りながら高すぎる利息を払い続けてしまい相談に訪れる人の事例も出ています。こうした事例からわかるのは、「知ること」の大切さではないかと思います。そうした知識の「溜め」が思わぬところで役にたったりすることがあると思います。
 著者が語る貧困問題の重要なポイントは、それが世間に知られていない、ということです。知的好奇心の喪失は、貧困問題をはじめとする社会的問題を、個人の努力の問題にすり替えてしまうことにつながります。自己責任論を振り回す人は、そのことで自分の自己責任を免れたいのではないだろうか、と著者は言っています。社会で発生する問題を自分自身に引きつけて理解しようという態度は、様々な知識を「溜め」ることですし、それは社会にどう自分が関われるのかに役立つだけでなく、自分の身を守ることにも役立つのだと思います。
 そういう知識の「溜め」の重要性は学生の頃よりも社会人になってから骨身に沁みてわかるのでしょう。だから、「ああ、あの時もっと勉強しとけばよかった・・・」と後悔することになります(笑)。知的好奇心を失うことなく生活を送れるか、それがこれから僕だけでなく、社会的にも問われていくことになるのだと思っています。

 ではまた。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04/22)
湯浅 誠

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読書のジャンル

2012.09.30(Sun)

『読んだ本』 Comment(0)Trackback(0)
どうも。

先日、近所の書店で棚卸の一日だけのアルバイトをしてきました。本のバーコードを機械で読み取るだけなので、コンビニバイトで検品をしていた僕にとってはスムーズに仕事を終えることができました。
ところで、そこの店長さんが、社員の人へこんなことを言っていました。

ほら、人文書は売れないでしょう、歴史の本もなかなか売れないんだよね。ああ、いつものおじいちゃんが朝来て読んでいくくらいだけど・・・。だから別のコーナーの方を先に片付けてくれるかな?」

確かこんな内容だったと思います。
大学で歴史を学んでいる身としては寂しいものを感じましたが、昔からうすうす感づいていたことではあります。なにせ、大学生協の書棚が(善し悪しは別にして)ライトノベル、公務員及び各種検定試験の受験参考書や問題集、就活のハウツー本でいっぱいになっているぐらいですから。いわゆる人文書も置いてありますが、そこには誰もよりつかないというのが、大学生協だけでなく、街のどの書店でもだいたい当てはまるように思われます。

ちょっと気になったので、読書調査の類を調べてみることにしました。すると、文化庁が行った『平成20年度「国語に関する世論調査」』なるものが検索でヒットしました。調査時期は平成21年3月とあり、今から約三年半前の調査ですが、現在の読書状況を俯瞰する良い資料になるのではないかと思います。

↓僕が参考にした文化庁の『平成20年度「国語に関する世論調査」』のウェブページはこちらです。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h20/kekka.html

さて、まずこの調査で、気になったのは一ヶ月の読書量の項目です。漫画や雑誌を除いて何れ位一ヶ月に本を読んでいるかという問いに対する答えは、次のとおりです。(調査対象たる16歳以上の男女の全体の値。)

読まない・・・46.1%
1,2冊・・・36.1%
3,4冊・・・10.7%
5,6冊・・・3.3%
7冊以上・・・3.3%
分からない・・・0.5%

「読まない」と「1,2冊」を合わせると82.2%。つまり、一週間に一冊ほどのペース(つまり一ヶ月に四冊ほど)で読書をしている人は、世の中の約二割程度に過ぎないことがわかります。
更にこの問で、「読まない」「分からない」以外の回答をした人に、どのような本を読むかを尋ねた結果が次のとおりです。(選択肢の中から三つまで回答できるという条件付き。)

小説や詩などの文芸書・・・56.6%
趣味やスポーツに関する本・・・41.3%
料理など日常生活に関する本・・・24.5%
医療や健康に関する本・・・23.3%
政治や経済に関する本・・・19.7%
生き方や宗教・哲学に関する本・・・17.8%
地理や歴史に関する本・・・17.7%
教育や育児に関する本・・・10.1%
言葉や語学に関する本・・・9.3%
自然科学に関する本・・・9.2%

政治、経済、宗教、哲学、歴史などのジャンルの本は軒並み二割未満となっています。また、僕のような根っからの文系人間が注意しないといけないのは自然科学のジャンルの図書が最も読まれていないことでしょう。
しかも、この調査における問では、選択肢の中から三つまで回答できるということになっていますから、ごくまれにしかそのジャンルを読まない人でも、政治や歴史のジャンルにチェックした可能性もあるので、この数字程には人文書や自然科学の図書は読まれていないのかもしれません。

どうやら僕の感じていた「寂しさ」は根も葉もないことではないらしい、ということがこの読書調査からわかりました。しかし僕は、安易に人文書を読め、などと言って説教するつもりはないですし、なによりも僕自身がそういった本をもっと読まなければならないと考えています。読書の効能の一つは、自分の経験を離れて物事を豊かにイメージでき、既存の物事を新しい角度で切り込んでいく力がつくことにあるのではないかと思っています。それはどんなジャンルの本であれ、基本的には同じであると思います。
ただ、あまりに自分の好みに偏したジャンルばかりでは、心の中がなんとなくギスギスした感じになるんじゃないか、とも思います。そうなっては、「自分の経験を離れる」という読書の効能が薄れてしまい、むしろ一つのジャンルでの読書経験を他人に無遠慮に押し付けてしまわないだろうか、と僕は思うのです。(かく言う僕にしてからが、やはり特定のジャンルに偏した読書をしているような気もするのですがw)

まあ、ともかくも、僕はゆっくり読書できる期間も大学卒業までのあと半年ほどですから、いろいろなジャンルの本にアタックしたいと考えています。

文が長くなりましたが、今日はこの辺で。それでは。

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▼ プロフィール

マンボウ

Author:マンボウ
25歳/男/大卒
民間で2年働いた後、1年半ほどバイトしながら勉強し公務員となる。
趣味は読書。

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